プロ野球からアマチュア野球まで、野球を縦横無尽に語ろう

新人時代の松坂大輔を取材して学んだこと

新人時代の松坂大輔を取材して学んだこと

■西高東低を一蹴した横浜高時代の怪物ぶり

 松坂大輔(西武→レッドソックス)のプロ1年目の映像を久しぶりに見た。

 デビュー戦となった日本ハム戦で、片岡篤史から三振を奪った内角胸元への155キロのストレート、イチローとの初対決で三振を奪った外角高めへのストレート、みんな素晴らしかった。現在のダルビッシュ有と比較して「ダルビッシュのほうが凄い」と言う人がいるが、存在の凄さという点で松坂に優る現役選手はいないと思っている。

 たとえば、松坂が98年に高校野球デビューする以前、甲子園大会(春・夏)の西高東低は極端だった。93~97年までの5年間、春・夏の成績は次の通りである。

優勝  準優勝 4強
93年春優勝上宮(大阪)大宮東(埼玉)国士舘(東京)、世田谷学園(東京)
93年夏育英(兵庫)春日部共栄(埼玉)市船橋(千葉)、常総学院(茨城)
94年春智弁和歌山(和歌山)常総学院(茨城)PL学園(大阪)、桑名西(三重)
94年夏佐賀商樟南(鹿児島)佐久(現佐久長聖)、柳ヶ浦(大分)
95年春観音寺中央(香川)銚子商(千葉)今治西(愛媛)、関西(岡山)
95年夏帝京(東京)星稜(石川)智弁学園(奈良)、敦賀気比(福井)
96年春鹿児島実(鹿児島)智弁和歌山(和歌山)岡山城東(岡山)、高陽東(広島)
96年夏松山商(愛媛)熊本工(熊本)前橋工(群馬)、福井商(福井)
97年春天理(奈良)中京大中京(愛知)報徳学園(兵庫)、上宮(大阪)
97年夏智弁和歌山(和歌山)平安(京都)前橋工(群馬)、浦添商(沖縄)

 この時期の東日本勢の劣勢ぶりが一目でわかる。優勝は95年夏の帝京のみ。準優勝は拮抗しているが、4強進出の20校のうち西日本勢は11校、東日本勢は6校、東海・北陸勢は3校と、西日本勢の優位は否めない。こういう時期に松坂(横浜)は颯爽と登場し、西日本の強豪校を軒並み撃破していくのである。
 春・夏連覇を成し遂げたときの戦いぶりを振り返ってみよう。

98年春・選抜

2回戦横浜6-2報徳学園3回戦横浜3-0東福岡準々決勝横浜4-0郡山
準決勝横浜3-2 PL学園決勝横浜3-0関大一

98年夏・選手権

1回戦横浜6-1柳ヶ浦2回戦横浜6-0鹿児島実3回戦 横浜5-0星稜
準々決勝 横浜9-7 PL学園準決勝 横浜7-6明徳義塾決勝横浜3-0京都成章(ノーヒットノーラン)

 近畿勢5校(6回)、四国・九州勢4校、北陸勢1校を、まさになぎ倒したという表現がぴったりの快刀乱麻ぶりである。対戦相手には、のちにプロ野球選手になったこんな選手たちがいる(*印は既に現役引退、※印は対戦時ベンチ入りのみ)。

98年春

 *鞘師智也(報徳学園→東海大⇒広島)
  南 竜介(報徳学園⇒横浜⇒ロッテ)
  光原逸裕(報徳学園→京産大→JR東海⇒オリックス⇒ロッテ)
  村田修一(東福岡→日大⇒横浜⇒巨人)
 *大野隆治(東福岡→日大⇒ソフトバンク)
  田中賢介(東福岡⇒日本ハム)
 *田中一徳(PL学園⇒横浜)
 *大西宏明(PL学園→近大⇒近鉄⇒オリックス⇒横浜)
*※平石洋介(PL学園→同志社大→トヨタ自動車⇒楽天)
  田中雅彦(PL学園→近大⇒ロッテ)
  久保康友(関大一→松下電器⇒ロッテ⇒阪神)

98年夏(PL勢は春と同じ)

※脇谷亮太(柳ヶ浦→日本文理大→NTT西日本⇒巨人)
 杉内俊哉(鹿児島実→三菱重工長崎⇒ソフトバンク⇒巨人)
*寺本四郎(明徳義塾⇒ロッテ)
*高橋一正(明徳義塾⇒ヤクルト)
*吉見太一(京都成章→立命大→サンワード貿易⇒西武)

 のちのプロ野球選手16人を擁するチームをなぎ倒したところに凄みを感じてほしい。この横浜高校時代の松坂に匹敵するプロ野球選手を、私は咄嗟には思い出せない。

 これほどの存在感を発揮した松坂のドラフト1位重複は3球団だけだった。大学生・社会人の1、2位選手に限って入る球団を選べる「逆指名」制度下だったこと、その大学・社会人に大物が揃っていたことなどが、3球団の重複に終わった理由として挙げられる。

98年の逆指名選手たち

上原浩治(大阪体育大→巨人1位)二岡智宏(近大→巨人2位)小林雅英(東京ガス→ロッテ1位)
福留孝介(日本生命→中日1位)岩瀬仁紀(NTT東海→中日2位)

 もう1つ、松坂が予想外の低人気に終わった原因として無視できないのは、高校卒に対する信頼感のなさだ。この時期の高校生は、一軍の戦力になるまでに4、5年かかると信じられていた。たとえば、松坂以前の高校卒で1年目に10勝以上したのは、67(昭和42)年の江夏豊まで遡らなければならない。

 「高卒が新人の年から10勝以上するのは、昔の野球のレベルが低かったから」と言う人さえあった。そういう偏見や先入観を松坂はすべて打ち払った。

 <25試合、16勝5敗>
 この成績で最多勝と新人王、ベストナインを獲得。高校卒ルーキーとしてはドラフト制以降、堀内恒夫に並ぶ16勝を挙げ最多勝を獲得し、防御率2.60はリーグ3位。伝説の名投手、江夏豊と並び称された投手は過去31年間、松坂以外には1人もいない。この松坂のデビューしたての頃、取材の話が飛び込んできた。

■怒らせて本音を喋らせる
 発行するのは読売新聞社で、体裁はムック。発行年月日は1999(平成11)年6月20日、タイトルは『松坂&高橋』。高橋とはこの年、プロ2年目にして大活躍した高橋由伸(巨人)のことだ。

 取材したのは5月8日。日記をつけない私が12年前のことなのに日付を覚えているのは、記録を紹介するとき「5月8日現在」と書いたのと、ローテーション通りなら先発しなければならない5月7日から9日のオリックス3連戦に登板できず、この3日間のどこかで取材をしてくれと、広報から日にちを指定されていたからだ。
 この1999年5月8日までの松坂の成績を紹介する。

4月7日○西武5-2日本ハム8回、5安打、9三振、2自責点
4月14日●西武0-2近鉄9回、3安打、7三振、0自責点
4月21日●西武0-2ロッテ7回、4安打、4三振、2自責点
4月27日○西武1―0ロッテ9回、3安打、10三振、0自責点
5月3日西武5-4近鉄3.2回、4安打、0三振、4自責点

 中5、6日のローテーションをきっちり守って、成績は2勝2敗、防御率1.96。このときの松坂は、既にエースの風格さえ漂っていた。
 取材場所は西武球場(当時はドームでなかった)に近い、西武第二球場に隣接する若獅子寮の一室。早くから出掛けた私たちは準備に余念がなかった。
 
 読売のカメラマンは、狭い一室に頭を悩ませながらさまざまな機器の設置場所を決め、話を聞く私たち(私、読売新聞社出版局の編集者、編集プロダクションの編集者)も、狭い一室の中で座る場所を割り振りし、あとは松坂本人がくるのを時遅しと待ち構えていた。

 それから10分くらい待たされると、広報担当の人が来て、松坂の希望と断った上で、「同席するのは2人まで、カメラマンは退室してくれ」と言われた。

 オリックス戦に登板できなかったのは、右手中指が痙攣したためと言われているが、それほど大げさな故障ではないとマスコミは伝えていた。しかし、撮影はだめ、同席する取材陣も2人までと制限をつける態度に、私たちは尋常でない空気を感じ、緊張した。

 取材は予想通り厳しかった。話を振っても木で鼻をくくったような返事しか返ってこないのだ。

―― 中指の状態はどうですか。(5月3日の対近鉄戦で右手中指に違和感があり、途中降板している)
松坂 周りが大騒ぎしただけで、病院でも何でもないということでした。
―― 今まで、そういうことはあったんですか。
松坂 ありました。そんなに珍しいことではありません。
―― ここまでの成績なんですが、2勝2敗、防御率が1.96(5月8日現在)というのは凄いと思うんですが、自分ではどう評価していますか。
松坂 まあ、なんとかやってるな、という気はしますね。
―― 特に頑張ってるという気持ではない?
松坂 はい。

 書いてしまえば普通のやりとりだが、松坂は明らかに気持ちが乗っていない。目を見て話してくれないし、何かに腹を立てているような態度である。

―― ストライクゾーンの違いかもしれないけど、2-3のカウントが多いですね。コントロールに苦しんでいるというんじゃなく、際どいところを突いて、それがボールと判定されているような。
松坂 僕、あんまり際どいとこ投げようとか思ってないんです。今は細かいコントロールないんで、アバウトに投げていて、あとは自分の球威で真っ向勝負というんですか。
―― 片岡(日本ハム)から155キロのストレートで三振取ったでしょ。あれって、かなり狙いすまして投げたボールだと思うんですよ。高校時代でも三振取るのはあのコースのストレートが多かったでしょ。
松坂 うまく高めを振らせる布石というか組み立てができれば、そういう攻め方をしますね。
―― ピッチングフォームは高校時代と変わりましたか。
松坂 いろいろ考えながらやっていて、試合が終わったあとなんかテレビ見たりするんですけど、肩が早く開くとか、やっぱり所々に悪いフォームが出ていますね。
―― 高校時代とくらべると、腕がそれまで以上に上から出てくるようになりましたね。
松坂 ヒジを高くするとかは考えていますね。
―― 高校時代は横に滑る高速スライダーを結構投げていたんだけど、今はタテのスライダーが多くなっていますね。
松坂 高校のときみたいに曲がりすぎても、高校生なら振りますけど……。

 松坂の投げやりな態度が腹立たしくなっていた。このやりとりを原稿にして面白くなるはずがないし、松坂のよさも読者に伝わらない。そこで私は怒らせたらどうだろう、と思った。スポーツマスコミは「大輔スマイル」と煽るが、松坂のよさは怒り顔である。人の目を見ないで不貞腐れるのではなく、打者の目を睨みつけて全身に怒気をはらませる仁王のような顔にこそ松坂の魅力がある。

 「高校生なら振りますけど……」と言われた私は、「プロで通用するボールじゃない?」と返した。松坂は「通用しないとは思わないですよ。ただ、まだ完全じゃない」と相変わらず歯切れは悪いが、幾分この取材に乗ってきたような気がした。さらに高校時代の話も交えながら話をしていくと、明らかに松坂の態度が変わってきた。ああ、このやりとりなら大丈夫だなと私は思った。

 膠着した状態を打ち破る最も適切な手段は怒らせること。松坂大輔の取材を通じて、私はこのことを学んだ。

powered by Quick Homepage Maker 4.81
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

UA-28613913-1