名選手にあらずんば、名監督にあらず
名選手にあらずんば、名監督にあらず
日本球界では「名選手、名監督にあらず」とよく言われるが、リーグ優勝の経験のある監督を見ていくと、「名選手にあらずんば、名監督にあらず」のほうが正しいことがわかる。2リーグ制になった1950(昭和25)年以降を見ていこう。
パ・リーグ
◇名選手
鶴岡一人(南海) | 39年本塁打王、46年打点王 |
三原脩(西鉄など) | 現プロ野球組織のプロ契約選手第1号 |
水原茂(東映など) | 慶大時代の名三塁手。プロでは42年MVP |
中西太(西鉄) | 首位打者2、本塁打王5、打点王3、MVP1 |
野村克也(南海など) | 首位打者1、本塁打王9、打点王7、MVP5 |
金田正一(ロッテなど) | 通算400勝は前人未到の大記録 |
広岡達朗(西武など) | 54年、打率・314で新人王。遊撃守備は名人 |
森祇晶(西武) | 巨人V9時代の正捕手。司令塔としてチームを引っ張る |
仰木彬(近鉄など) | 60年、ベストナイン。通算800安打のいぶし銀 |
東尾修(西武) | 通算251勝247敗。最多勝2回、MVP2回 |
王貞治(ダイエーなど) | 三冠王3回。通算868本塁打は不滅の金字塔 |
梨田昌孝(近鉄など) | ベストナイン3、ダイヤモンドグラブ4 |
伊東勤(西武) | 森西武時代の正捕手。ベストナイン10 |
渡辺久信(西武) | 森西武時代のエース。通算125勝 |
秋山幸二(ソフトバンク) | 本塁打王1、盗塁王1 |
[註]西村徳文(ロッテ・10年日本一)……首位打者1、盗塁王4
◇名選手にあらず
湯浅禎夫(毎日) | 大正末期、明大のエースとして活躍する。プロ経験なし |
西本幸雄(大毎など) | プロでは実働6年。社会人・星野組では活躍 |
濃人渉(ロッテ) | もう1つのプロ野球、国民リーグでプレー経験 |
上田利治(阪急) | 25歳で広島コーチ就任。関西大では村山実とバッテリー |
大沢啓二(日本ハム) | 鶴岡南海の名外野手も通算501安打 |
伊原春樹(西武) | 通算189安打。走塁コーチとしても手腕を発揮した |
セ・リーグ
◇名選手
水原茂(巨人など) | |
三原脩(大洋など) | |
川上哲治(巨人) | わが国初の2000本安打達成選手。首位打者5など |
与那嶺要(中日) | 第2期黄金時代の巨人不動の1番打者 |
古葉竹識(広島) | 盗塁王2。58年に長嶋茂雄と首位打者争い |
長嶋茂雄(巨人) | ミスターの称号で呼ばれる、プロ野球史上最大のスター |
広岡達朗(ヤクルトなど) | |
藤田元司(巨人) | 最多勝1、MVP2。悲劇のエースと呼ばれる |
近藤貞雄(中日) | 1リーグ時代の46年、巨人で23勝を挙げる |
吉田義男(阪神) | “牛若丸”の愛称で親しまれた名遊撃手 |
王貞治(巨人など) | |
星野仙一(中日など) | 最多セーブ1、沢村賞1。先発投手としても実績残す |
山本浩二(広島) | 首位打者1、本塁打王4、打点王3、MVP2 |
野村克也(ヤクルトなど) | |
権藤博(横浜) | 新人年から35勝、30勝を記録、太く短い選手時代 |
若松勉(ヤクルト) | 首位打者2、通算2173安打。「小さな大打者」の異名 |
原辰徳(巨人) | 打点王1、MVP1。80~90年代の巨人の中心打者 |
落合博満(中日) | 三冠王3回獲得。両リーグで本塁打王、打点王獲得 |
岡田彰布(阪神) | 通算1520安打、247本塁打を記録 |
◇名選手にあらず
小西得郎(松竹) | 明大の8代目主将。プロ経験なし |
天知俊一(中日) | 明大時代、湯浅禎夫とバッテリーを組む。プロ経験なし |
藤本定義(阪神など) | プロ経験なし。早大時代は投手として活躍 |
阿南準郎(広島) | シーズン100安打以上1回だけ |
「名選手にあらず」に分類した湯浅、西本は、アマチュア時代、名選手と言ってもいい実績を残し、藤本は東京鉄道局の名監督としても知られている。大沢は鶴岡南海時代の外野守備名人だし、阿南も通算746安打を放っているので、無名選手とは言えない。「名選手、名監督にあらず」はアメリカでは通用しても、日本では通用しない格言と言ってもいいだろう。そもそも、日本では選手としての実績がない人が監督になることが稀なのだ。
1955(昭和30)年、阪神は松木謙治郎の後を継いで岸一郎が監督に就任したが、主力選手・藤村富美男などの排斥運動に遭い、33試合指揮を執っただけで休養(解任)に追い込まれる。岸に選手としての実績がなかったため、革新的な若手起用は反感を招いただけと言っていいだろう。
70年にロッテをリーグ優勝に導いた濃人は、それより9年前の61年、中日の監督に就任し、前年5位のチームを2位に押し上げ、翌62年も3位の座をキープするが、2年限りで辞任。ロッテ監督としても3位、3位、1位と好成績を残したが、優勝した翌71年に途中交代する。選手時代の実績がなかったため、監督としても軽く扱われたのだと思う。
選手としての実績がない監督の哀れを感じるが、名ヘッドコーチと言われる、元“名選手にあらず”は結構いる。V9監督、川上哲治監督を助けた名参謀・牧野茂は、現役時代、通算445安打しか放っていない。
野村克也のヤクルト監督時代、打撃コーチとして手腕を発揮し、今は小川淳司ヤクルト監督の知恵袋として活躍する伊勢孝夫は、シーズン100安打以上が一度もなく、通算安打は570本。同じく野村監督の参謀として知られる松井優典の通算安打はわずか33安打。
名参謀は名選手にあらず、のほうが日本では適切かもしれない。